2010年2月アーカイブ

JC、入りません?(5)

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 はい、もう、すみません。単なる回顧録ですね、これ。開き直って書きます。

 この年、私が就いた副理事長という役職は「委員長と理事長の間をうまく取り持つ中間管理職」とでも言いましょうか。実際には委員長経験者がなることが多いので、委員長のアドバイザー的な役割も担うことが多いです。

 さて、初めて「副理事長職」に就いた私ですが、基本的に委員長にすべてを任せ、その方向が理事長の方針とずれてきたときだけ助言しようと考えていました。「結構楽できるかな」と高をくくっていました。
 ところが、いざ始まってみると、委員会が思うように動いていかないんです。地道に積み上げることの大切さを学んだはずなのに、それがなかなか実践できない。執行部会議では「何やってるの?」的な視線を受け、委員会であれこれ指示するもののなかなかうまくいかず、企業の中間管理職と同じく、理事長と委員長の間でもがき苦しんだ一年でした。

 ま、楽しようとしていたんで、バチが当たったんですね。泥まみれになる覚悟がなかったんです。この数年、自分としてはそこそこ苦労をしてきたつもりだったので、今年ぐらいは楽したかったんです。そんな中途半端な気持ちがいろんなところに表れていたんだと思います。傲慢さだったり、押しつけだったり。

 で、精神的に疲れ果ててしまいまして、翌年は財務理事のオファーをいただいたので二つ返事で受けさせてもらいました。委員会メンバーではなく、また、副理事長のように委員会を担当するわけでもない、比較的時間に余裕がある役職です。時の理事長、野島先輩は私の疲れた様子を見て、この役職にしてくれたのでしょう。副専務も兼任してまして、一応総務付きではありましたが、委員会においては必要最低限のことしかしませんでした。実質上、初めての「スリープ」でした。LOMは創立30周年という節目の時だというのにスリープ・・・甘ったれてますね。

 でも、この一年は本当に有り難かったです。いろんなことを考えることができました。JCって一体なんだろう。本当に地域に必要とされているのかな?家族と仕事とどっちが大切なんだろう?これからどこに向かうのか?禅問答のようにたくさんの問いを自らに投げかけ、あれやこれやと考えてみました。時々、そんな思いをメンバーと話して、「なんだ、みんなそう思っているんだ」と安心したり。

 そしてその翌年、再度副理事長を務める機会をいただきました。一年間、自分なりに考えたことがどこまで通用するのかやってみようと思いました。今度は、高みの見物をするのではなく、委員会の一メンバーのつもりで関わろうと決意しました。

 委員長の田村君は初めての委員長職。JCのことは元々あまり好きではないのですが「文句を言う前に一度委員長をやってみてそれから判断しよう」という理由で委員長に志願した珍しい委員長です。
 彼の持論は「楽しくなければJCじゃない」でした。私は「楽しいだけじゃJCにならない」と思っていました。でも、それを押しつけては前回の二の舞ですから、まずはその方向で進んでみようと。どこかで壁にぶつかったときに自分の意見を述べても遅くはないだろうと。

 ただ、委員会だけはしっかりと隔週でおこなうことをお願いしました。不定期ではなく、曜日を決めて、メンバーもなるべくその曜日に合わせるようにスケジュールを調整してくれ、と。成否の鍵は委員会の幹事が握っています。幸いにしてこの委員会には新人ながら抜群の働きをして下さった名幹事がいたんです。それが、岡田君でした。飲み込みが恐ろしく早く、「ということは、ここで委員会を開いて決めておかないとまずいですね」と新人とは思えないような提言をいつもしてくれました。

 田村委員長の「楽しく!」という思いは、次第に委員会に伝わり、出席率も上がり、メンバーのテンションも上がり、ひとつのチームとしてまとまりを見せてきました。余談ですが、この委員会の懇親会は「男祭り」と呼ばれていて、アホみたいに盛り上がるんですが、それもチームの結束を強めたように思います。べろべろに酔っぱらいながも、本当にいい顔している委員会メンバーを見て、「ああ、こういう委員会にしたかったんだよ・・・」と一人感激して泣きそうになっていました。
 
 さて、来年度の理事長についてみんなが気にする時期がやってきました。 ここまで読んで下さった方には、おわかりいただけるかと思いますが、私は理事長になる気はさらさらありませんでした。もう十分苦労したし、修行もさせてもらったし、これ以上、辛い思いはしたくないというのが正直な気持ちでした。
 でも、この委員会で活動しているうちに、なんだかとても自信が湧いたんです。自分の考えはそれほど間違っているわけじゃない。この方向性で福生JCが進んでもいいんじゃないか。
 そして、苦労もひっくるめていろんな経験をさせてもらった福生JCに恩返しをすべき年なのかもしれないとも感じました。こういうと本当に偉そうで反感買うと思いますが、「自分が今まで『嫌だ』と感じた部分を理事長になって改革することで、後輩たちがやりやすいLOMになるんじゃないか。それが恩返しになるんじゃないか」って勝手に思い始めてたんです。ホント、ずうずうしい(^^)。

 4月に第二子が生まれ、カミさんには「正直、もう一年待ってもらえると・・・」と言われましたが、よくよく話し合い、最後は納得してもらい、理事長に立候補することにしました。(つづく)

JC、入りません?(4)

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 この年に私が所属した委員会の委員長は「ドサクレですけどよろしゅうたのんます!」が口癖の、優しくて器の大きい人でした。当初は適当にやろうと思っていたのですが、次第に「この委員長のために一丁やったろう」と思い始めまして、かねてから暖めていた事業の提案をしてみました。

 それは「ドイツのボードゲームを地域の子どもたちに紹介して、ゲームを通じて社会性や協調性を育む」という事業でした。その少し前から私はこのドイツのボードゲームにハマっていまして「これは子どもたちの教育に使える!」と確信していました。テレビゲームと違って、点数も自分で計算するし、ルールも自分で把握しなくちゃならないし、負けてリセットもできないし、とにかく楽しく遊びながらこれほど脳を使い、人間関係も学べるものはないだろうと思ったのです。
 委員長はじめ、委員会メンバー全員がそれに賛同してくれまして、JCに入って初めて「自分のやりたい事業」をやることになったわけです。

 それから、メンバーと一緒に地域の児童館を巡り、子どもたちと一緒にゲームをして宣伝したり、学校にチラシを配付したり、PRできるところはどこにでも出現したりと、とにかく一生懸命この例会をPRしました。今まで正直「面倒だな・・・」と思っていたPR活動でしたが、今回は自分でも信じられないくらいに楽しくて、全くといっていいほど苦になりませんでした。

 さて、そんな中、事件が起こりました。ボードゲームの次に私たちが担当する7月例会の計画が遅々として進んでいなかったのです。委員会もろくに開催できず、事業計画の完成度も低く、理事会で審議を取り下げてもらう有様でした。委員会として勢いはありましたが、うまく歯車がかみ合っていない、そんな状況でした。

 そして3日後にボードゲームの例会を控えた5月の理事会議・・・。予想通り7月例会に対する厳しい意見が並びました。その中の一意見に私の血管がぶち切れそうになりました。

 以下、当時私が理事会後に委員会MLに流した文章をご覧下さい(一部伏せ字)。

「ゲーム『なんか』やってる場合じゃないと言いたい」
という**さんの発言がどうしても許せません。
例会まであと数日というこの時期に、
理由はどうであれ**がすべき発言だとは思えないのです。

7月例会の計画書が不十分だからでしょうか。
委員長所信に合致してないからでしょうか。

もしそうならそのことだけを指摘すればよいわけで、
5月例会を引き合いに出し、しかも「ゲームなんか」呼ばわりするのは、
あまりにも今まで準備してきたメンバー、そして協力してくれた
**さんに対して失礼だと思います。

「ボードゲームなんかつまらん」と思われるのは
個人の自由ですから、別に構いません。

でも、それを理事会の場で、「~なんか」という
明らかに見下すような表現で発言したということが
悔しくて悔しくて仕方ありません。

これも修練だというのなら、
私はもう青年会議所で活動していく自信がないですし、
もっと自分の好きなことで地域貢献ができる手段を
模索したいと思います。

 いやー、かなり怒ってますね(^^)。それだけこの例会に対する思いも深かったんです。

 ま、その発言をされた方も「人間」ですから、たまたま虫の居所が悪かったのかもしれません。また、我々に渇を入れる意味で、敢えて憎まれ役になったのかもしれません。ですから、今は別に何とも思っていませんし、むしろ、当時の委員会に対して「何度同じ事言わせるんだ!」って言いたくなる気持ちも分かるんです。ただ、やはり、「言い方」って大事だなって思います。相手に届かなければ何の意味も無いですし。私は教育に携わる仕事をしているので、余計そう思うのかもしれません。

 その怒りをバネに変える・・・タイプではないので(アンチ体育会系、アンチ熱血なので)、特に意識せず例会に臨みました。結果、たくさんの親子に来てもらい、「こんな面白いゲームがあったんですね」との言葉もたくさんいただき、大成功を収めました。「やりたいことを一生懸命やり遂げると、こんなにも心地がよいものなのか」と今さらながら実感した例会でした。

 その後、更に事件が起きます。なんと委員長が行方不明になってしまったのです。詳しいことは未だに謎なのですが、とにかく、委員長が急にいなくなってしまったのです。7月例会はどうなる?その後の例会はどうする?ものすごい不安が襲ってきました。そして実際、その不安は現実のものとなり、毎回の理事会や事業を溺死寸前で切り抜ける有様でした。

 委員会なんてまともに開催できませんでしたし、執行部や理事会の意見もほとんど反映されず、お情けで審議を通してもらうことすらありました。「このままじゃいけない」とみんなが感じていましたが、とにかく体制を立て直す間もなく年度が終わってしまいました。

 ただ、今、こうして振り返ってみると非常に多くのことを学んだ年だったと思います。まさに「修行の一年」でした。ボードゲームの例会では、事業を企画する本当の面白さや他の団体とコラボレートすることの大切さを知りましたし、何よりも「委員会をちゃんと開催する」というごく基本的なことがいかに重要であるか骨身に染みて感じることができましたし。
 結局、近道は無いんですよね。地道に委員会での話し合いを重ねて積み上げた例会に勝るもの無し、です。

 その次の年は、初めて副理事長を務めることになりました。副理事長と言えば、委員会の指南役ですから、前年の反省を生かして、「地道にしっかりと委員会を運営する」ために力を注ごうと思いました。

 で・・・やっぱりこの年もドラマがあるわけです(^^)。これだけドラマチックなJC、あなたも入ってみませんか? 

JC、入りません?(3)

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 今回はちょっと重いです。ここだけ読むとJCに入りたくなくなるのでご注意ください。

 さて、この年、私は仕事において「園長」に就任しました。それまでの「責任も無いけれど権限もない立場」ではなく、「責任も権限もある立場」で仕事をしたいと強く思うようになったんです。青年会議所において「変化」に対する柔軟な気持ちが培われたことも大きかったと思います。
 同時に某短大の非常勤講師も週に一度始めることになりました。幼稚園以外の世界を見るチャンスがあるのなら、積極的に利用しようと思ったのです。また、「教える」という立場に身を置くことで「教えることの難しさ」を常に意識できれば、それも園長の仕事のプラスになるだろうと考えたのです。
 さらに4月に待望の第一子が生まれ、生活のリズムとパターンが子ども中心のものへと大きくシフトしました。

 そんな記念すべき年に、私は青年会議所において「総務広報委員会の委員長」という役職を務めることになりました。初めての委員長職ですから俄然気合いも入ります。
 しかし、その気合いも空しく、委員会運営は惨憺たる結果でした。

 まず、委員会にメンバーが来ないのです。自分よりもキャリアのある委員が委員会に来てくれないのです。委員会の案内を出しても返信がなかったりと、まったくもって「盛り上がっていない状態」でした。
 また、広報誌の作成や各種郵送物の発送といった「作業」も多いのが総務の特徴ですが、こちらも委員会メンバーが揃わず、ひどいときは副委員長と2人で日付が変わるまで発送作業をしたこともありました。
 先輩に「委員長のやり方が悪い」と批判されたこともあります。今にして思えば確かにその通りなのですが、その時はやることなすことすべてうまくいかず、落ち込んでいたときだったので、「委員会に来ないくせに文句ばっかり言うな!」と本当に頭に来てしまいました。委員会も作業も事業もすべてが苦痛になり、単なる義務になり、本当に憂鬱な日々が続きました。

 ただ、そんな中でも「救い」はありました。時の副委員長、櫻井政伸先輩(お世話になったのでフルネームでご紹介します)。ほぼすべての委員会や作業に出席してくれました。私より人生においても青年会議所においても先輩でしたが、常に委員長を立ててくれ、そっと寄り添うようにフォローしてくれました。そして何度となく私の愚痴話に耳を傾けてくれました。私のJCにおける恩人のひとりです。
 それから時の副専務、山口さん。広報誌が完成して一息ついているところで「これ、間違っているよ」と鋭く指摘する山口さんには何度かキレそうになりましたが(^^)、おかげで大恥をかくことなくすみましたし、その観察眼には何度となく助けられました。

 委員会がうまくいかなかった原因を今、自分なりに分析してみると、私が「委員会をうまく運営しよう」と思っていなかったんだと思います。もちろん、その時はそういう意識は無いですが。
 まめに電話したり、足を運んだり、飲みに誘ったり・・・そんなことをする暇も必要も無いと思っていましたし、何度も電話しないと来ないような志の低い人は青年会議所にいるべきでないとさえ思っていましたから。先に述べた私の批判をした先輩も私のそんな姿勢を指摘したんだと思います。

 加えて、プライドが邪魔していろんな人に助けを求めることができなかったんです。他の委員長さんとのつながりはほとんどありませんでしたし、担当以外の先輩に相談するのも弱みを見せるみたいで嫌でしたし、結局自ら進んですべてを背負い込んでいたようなものだったんです。

 その年のクリスマス例会、褒賞において最優秀グループ賞を受賞した委員会は誰もが納得できるほど、勢いがあり、成果も出し、そして何より「楽しそう」でした。受賞の喜びを語る壇上の委員長をうらやましく見つめながら、「でも、オレの方が苦労したんだ。オレの方が修行したんだ」と無理矢理自分を納得させていました。でないと、本当に辛くて、悔しくて泣きそうだったんです。

 ちなみに園長一年目も大変でした。運動会の日程を巡って一部保護者から突き上げを食らい、「責任者」の苦労を身にしみて感じました。
 子育ては、夜泣きする子どもにキレそうになり、後で自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。
 そんなこともあって、その年は負のスパイラルに取り込まれていたのかもしれません。

 もう二度と委員長はやるまい、そう決心しました。一生懸命JC活動をするのも、もう止めようとも思いました。ほどほどであればこちらも傷つかない。責任も権限も無い立場で卒業までのんびり過ごそう、そう思いました。

 ということで、翌年はヒラ委員で過ごしたかったのですが、どうしてもと請われて副委員長を務めることになりました。そしてやはりこの年も数々のドラマがあったんです。(つづく)

JC、入りません?(2)

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 早くも「内容が拡大とつながっていない」と言われそうな雰囲気を感じていますが、無視して続けます(^^)。

 さて、私の場合、そういうわけで無理矢理入れられたわけではないので、とにかく言われるがまま、何でもやってみようと思いました。なにせ、「修行」ですから。

 早速、知り合いの先輩に誘われて日本青年会議所の委員会に出向しました。今にして思うとよく行ったなと思いますが、当時は何にも分かりませんから、二つ返事です(^^)。行ってみると、「イギリスに視察に行きましょう」「六本木で懇親会ですよー」「会費は一人1万円です」などと当たり前のように言われ、何度となく「そんなに金かかるの!」と驚かされました。

 青年会議所のことをよく知らない方のために簡単に説明すると、私は「福生」青年会議所のメンバーなんですが、福生青年会議所のように各地にある青年会議所のことを「LOM」と呼びます。ローカル・オーガニゼーション・メンバーですね。で、東京にある24のLOMが集まって「東京ブロック協議会」という上部組織を形成し、関東にあるいくつかのブロック協議会が集まって「関東地区協議会」という組織を形成し、さらにさらに、日本にあるいくつかのブロック協議会が集まって「(社)日本青年会議所」を形成しているんです。

 全然簡単じゃないですね(^^)。上部組織が「偉い」というわけではありません。ただ、上部組織ほど、広域からメンバーが集まりますので、見聞を広めるという意味ではメリットが多いと思います。ただ、会議も各地でおこなわれるので旅費もそれなりに掛かりますが・・・。


 さて、私の話に戻しますが、LOMでは一委員として委員会に参加し、その後の懇親会にも参加し、例会にも参加し、ごく普通にJC活動をしていました。

 委員会においては、何を話し合っているのか、何のために話し合っているのか、さっぱりわかりませんから(説明してはもらいましたがチンプンカンプン)、発言を求められても「いいんじゃないですか」しか言えないし、委員会後の懇親会もJC談義ばかりなので、次第に行く気が薄れてきてしまいました。例会は多くのメンバーが集まり、活気もあり、懇親会も盛り上がってそれなりに楽しく過ごしたりもしましたが、それでもトータルすると「JCって予想以上につまらないな~」というのが正直な感想でした。でも私は「修行」に来ているわけですから、「このつまらない活動に我慢して参加する自分はなんて偉いんだ!」と勝手に酔いしれていました(^^)。

 そんな私の第一の転機は、福生の七夕まつりに参画するための特別委員会のメンバーになったことです。私と同世代の若いメンバーで組織され(入江理事長もいました)、福生市からいただいた補助金を使って、市民のために祭りを盛り上げる企画を考えるというこの委員会は、LOMにおいては「若手の登竜門」的な委員会でした。

 経験の無い若手ばかりですから、そりゃ大変です。的確な指示をもらわないのに「任せたよ!」と言われ、そんなこと任されても困るな・・・と戸惑っていると「資料できた?明日委員会やるから来てね!」なんて言われ・・・。結局資料が間に合わずに尻ぬぐいをしてもらったり、とにかく迷惑かけっぱなしでした。

 そして事業計画を説明するため、初めて「理事会」というものに出席しました(JCのすべての事業は理事会で審議し、理事メンバーの賛同を得て、予算が付き、晴れて実行することができるんです)。午後8時に始まり、終わったのは「日付が変わった後」でした。しかも会議時間のほとんどは自分たちの案件とは関係ない議題ばかりで、修行とは言え、長い話と長い会議が大嫌いな私にとっては、一気にテンションが下がる出来事でした。

 ただ、これで辞めるのはあまりにも情けないということで、いろんな方に助けてもらってなんとか七夕祭りを終えることができたわけですが、その開放感たるやそれまでに味わったことのないものでした。先輩メンバーにも「野口君、よくがんばったね」とほめられ、いい気分にもなり、「JCって楽しいかも・・」と思い始めました。ただ、残念なことに私は根っからの面倒くさがりで、根性なしで、疑り深い性格なので、ここで火がつくことはなく、「今回ものすごーく修行したから、しばらくは普通にJC活動しよう」と決め、再び委員会を適度にサボる「ヌルいJCライフ」に戻りました。

 あ、「転機」になってない!?気にせず続けます。

 翌年、副委員長に抜擢され、初めての理事メンバーとなり、議決権を持つようになりました。なんとなく責任も感じ、また、理事会で自分の意見を言うことの難しさと面白さを感じた一年でした。「JCやるなら理事メンバーになれ」と誰かが言っていましたが、確かにこの理事会は本当に勉強になりました。人に思いを伝える難しさ、目的を持って事業を進める大切さ、予算の考え方等々、JC以外でも役に立つたくさんのノウハウを覚えたように思えます。

 そしてその翌年。第二の転機がやってきます。ホントです(続く)。

JC、入りません?(1)

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一応、09年度の終わりと共に更新も停止した「2009年度理事長ブログ」ですが、せっかくまだ存在しているので、直前らしく「肩肘張らない文章」でも書いてみようかなと思いました。


とりあえず、少しでも拡大につながるように、「JC入会のオススメ」をつらつら書いていきたいと思います。

では(^^)。

まずは私のプロフィールから簡単に書きます。福生生まれの福生育ち。仕事は現在幼稚園の園長をしています。JCに入ったのは2002年。2004年に初めて委員長を、2006年と2008年に副理事長を、そして2009年に理事長を務め、現在は直前理事長です。

こう書くと比較的順風満帆なJCライフのように見えますが、自分としては数多くの葛藤があり、挫折があり、ドラマがあったと勝手に思い込んでおります(^^)。ま、それは追々書くとして・・・。

私は大学を卒業して、すぐに自分の父親が園長を務める幼稚園に就職したんです。ろくすっぽ就職活動もせず、バイトに明け暮れ、好き勝手に浪費し、そしてひょいっと社会人になったわけで、我ながら楽な人生を送っているなと少々後ろめたく思っていました。ま、通信教育で幼稚園免許を取ったり、バイトで別の仕事をしたりと、それなりに忙しくはしていたので、それ以上深く悩んだりはしませんでしたが。

数年が経ち、仕事もだいぶ慣れ、なんとなくマンネリ化してきて、漠然と「このままでいいのかな・・・」と感じ始めていました。自分は将来園長という役職をやるわけだが、果たして今の自分でできるのだろうか?人をまとめたり、人前で話したりできるのだろうか?そもそも人見知りが激しいままでいいんだろうか?もっと自分に自信を持てないとまずいんじゃないか?などと不安な思いが次第に強くなってきました(かなりの小心者)。

そんな時に知り合いの方からJCに誘われました。実はそれよりだいぶ以前にも誘われたのですが、父は噂で「JCは大変だ!」と聞いていたようで、私には決して勧めませんでした。私も、まだ就職して何年も経っておらず、そんな見ず知らずの団体に入るのもいやだったので(人見知りが激しい)、スルーしてしまいました。

でも今回は、そんな風に不安に思っているときだったので、「大変だと噂されるこのJCに入れば、自分にとって良い『園長修行』になるんじゃないか」と思ったんです。JC入会というイベントをきっかけとして自分を変えることができるんじゃないかと。ま、正直「あのJCに入ったの?若いのに偉いねえ」と周囲に認めてもらえるんじゃないかという下心もありましたが(^^)。

ということで、すんなりと入会し、JCライフがスタートしました。(続く)