福生市・羽村市・瑞穂町。
2市1町。
この地域が、福生青年会議所の活動地域です。
私は、これまでの歴代理事長の方々の多くとは異なり、この地域およびその周辺で生まれ育った者ではありません。
私の出身は和歌山県海南市。
和歌山県といえば・・・
「火曜サスペンス劇場」に出てきそうなこんな海(太平洋)に面した地方。
内陸の西多摩地域とはだいぶ違いますね^^;。
私が生まれ育った海南市は、紀伊水道の瀬戸内海近くなので、実際にはもう少し穏やかですが、
やはり海辺。海! 海!!
・・・こちらは我が父が若かりし日に汗を流した旧・富士興産海南製油所(現 和歌山石油精製株式会社)。
私は、この和歌山県海南市で生まれ育ち、18歳の高校卒業までこの地で生きました。
・・・しかし、
中高の頃、
思春期の私は、
この
イナカが
イナカが
嫌いで嫌いでたまらなかった!
・・・
高校の頃の私(実家にてwithニャン)、、、
「ゼッタイ 東京に出てやる!!」
そう思って東京の大学に進学し、上京しました。
小説家を志し進学した大学でしたが、
大学を飛び出すや「平成の松下村塾」を謳う塾の講師になりました。
…ちゃんと教えていました(笑)。
しかし、
時にはこんなサービス精神(?)で、生徒を喜ばせる(?)こともありました…。
・・・。
「松岡修造の仮装」だそうです。。(イミフメイ
塾講師は7年ほど務めました。
とてもやりがいのある楽しい仕事でしたが、より広く泥臭い多様なコミュニティの協働現場を求め、公務員に転職しました。
公務員を4年間務めた後、さらなる自由を求め個人事業主に転身し現在に至ります。
現在は、生まれ育った和歌山に素直に愛着を感じています。
「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されましたが、
国土における我が故郷の文化的重要性は、
さらなる再評価の余地があると考えています。
一方、大学入学以来の半生を過ごした青春の地、東京。
自分にとって、
大切な人
大切な場所が、
たくさん在る
東京。
東京、
なかんずく西多摩は、
もうひとつの
たいせつな
「故郷」です。
「地域の元気を日本の元気に!」
この地域から創出する、そのロールモデルが、
太平洋へ届き、
黒潮をさかのぼり
紀の国へと届く日まで、
私は諦めません!!
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